木曜日, 4月 26, 2007

平群町町議員選挙結果について

 2007年度の平群町町議会選挙は、相も変わらず、得票数第一位に地元基盤の馬本氏、第二位に宗教基盤の久保氏という顔ぶれだが、注目すべきなのは、以下、ずらずらと当選した多数の無所属、共産党系の顔ぶれだ。彼ら三位以下の得票数合計は、上位の二人を上回っている。

 「自民+公明」vs「無所属・共産・その他」の対立構図をみるなら、後者が数の上で優位に立ったということだ。でも、上位二人のパワーに太刀打ち出来るのかな~?。

 久保さんの選挙カーのスピーカーは凄まじかった。あの懇願ッぷり、躊躇を排した役者ッぷりの背後にある自信はどこからくるのか、ということに思いを馳せざるをえない。後に想起されるときに、あの数日間の出来事は、なにか”威圧感”として住人の心の底に沈滞しているのではないだろうか。カエサルが謙虚にも賢者の忠告を受け容れたのも、むしろそれによってかえって、かれの圧倒的な力を誇示せんがためだった。思いっきり下手に出て懇願出来るのは、死ぬほど自信がある人に限られる。そういう意味で、正直こわかった(ちなみに、これを書いている私は反・創価学会のバイアスを持っています)。

 今回の選挙は、先だって当選した、革新派町長の先行きを占う意味もあった。ちゃんとした大学出で、専門職出身で、理念主導、革新派、新住民派というイメージの新町長 岩崎万勉氏への指示不支持も候補者選びの際のポイントだった。

 単純化すれば、平群町議会は、「旧い地元住民(馬本派)」と「創価学会(久保派)」と「無党派(岩崎派)」に三分されていると考えられる。

 岩崎派の行く末はは、ヘロヘロで経験もなく基盤もない「一年生議員」をまとめ、育てていく岩崎氏の技量にかかっている。それは相当のエネルギーを費やすことになるから、岩崎知事に果たしてそれは出来るのかどうか、という点が、今後の課題だ。

金曜日, 4月 20, 2007

平群町町議会選挙 ~団塊の世代について~

 平群町町議会選挙があった。選挙カーがスピーカーの音量で競い合っていた。実に馬鹿馬鹿しいことだ。

 選挙が内容重視になるためには、問題を十分に吟味できる選挙民の存在が欠かせない。長時間労働と低賃金で、地域社会にかける時間もエネルギーも奪われている我々に、しかしながらそれは難しい。

 平群町も今回の選挙では団塊の世代の進出が目立った。選挙民においても同様だ。

 彼らは将来的に十分な時間と体力と経済力を生かして、強力な政治的影響力を行使するようになるが、今年度はまだそういう段階にないと見え、とりあえず出てみようという感じだった。

 ところで、彼らのような勢力が、地方議会に続々と進出し、批判的に旧来のやり方を再構築していく事には、期待するのだが、そういった意味で革新的であると同時に、彼らはやはりある意味守旧的だということも、認めざるを得ない。というのも、かれらが、どういうプロセスを経て、彼らにとって切実な9兆円規模の老人医療福祉の予算を、後続世代のための10兆円規模の少子化対策の予算に引き換えることに同意するだろうか、ということがみえてこず、やはりそういった動きに際して、彼らは強力に抵抗勢力となるだろうと想定されるからだ。

 私が関心を持っているのは、こういったぎりぎりの選択において、どういうビジョンを持っているのかということだ。地方議会レベルですでにかれらにはそういうことが要求されている。

 私は、彼らの中からも、その見事な解決方法を提示してみせて欲しいと思っている。これは、まだ若い私にとっての、切実な未来の問題であるということだけでなく、彼らにも、後続世代のことを思いやっている気持ちを示して欲しいからだ。長老がそういった雄大な理念に殉ずるような振る舞いをみせることは、大いなる教育効果をもたらす。目先だけでない見方が、この国にも可能だという模範例となりうるのだ。

 したがって、私はこのような公約を示せる候補者には投票する(ただしもちろん公約はネット上で公開されていること。その理由については過去の書き込みを参照。)。

 彼らには、ボランタリーな活動でもおおいに楽しんで貰いたいと思っている。地元に草の根のような分厚い人間らしい関係性を作りだし、地域を再生して貰いたい。彼らの、もっともありふれたパターンとしての、地元に基盤のある妻と、地元に基盤の殆どないサラリーマンの夫という組み合わせは、むしろ地元に新風を巻き起こす有効な組み合わせかも知れない。

 地元を外部から眺める視点をもつ夫が、妻のコネクションを頼りに、地域にはいることができる。あるいはあるいはボランティアセンターの紹介などを通じて、それも可能だが、やはり妻の力は極めて大きいと思われる。いままで女達で回っていた地域は、あらたに男どもの進出によって、新風」を吹き込まれる。

 それは基本的に政治的に熱くなりやすい「男がする再構築」であるため、必然的に自発的結社が多数出現し、離合集散試行錯誤を繰り返しながら、民主主義の学校として育っていく。若者のあいだでまた密かに行われている、社会性を帯びた離合集散の試みと接続し、ここに劣悪なメディアに踊らされるだけではない、それなりの情報検証能力を備えた市民が生まれると、まあそういった可能性もなきにしもあらずである。

 平群町の動静を見極めていきたい。